あちこち いろいろ デジブラ

あの阪神大震災から もう10年が過ぎました 

10年といいますと あっという間のようでもあり長かったようでもあります 
被害にあわれた方 それぞれの10年でした 
私のように物理的 身体的に殆ど被害らしいものにあわなかった幸運な人間もいますし
肉親をなくされた方 住んでいた家が全壊して再建できずにいる人もおられます 
家は再建したが 多額の2重ローンを抱えて生活が苦しくなった方も・・

そんな10年でしたが 今年も 神戸をはじめ各地で1月17日には震災関連の催しが行われました 
その中の 三宮 東遊園地で行われた 「阪神淡路大震災117の集い」に行ってきました 
     三宮につくと直ぐに 駅前の歩道橋の上でTVの収録に出会いました 
筑紫哲也さんが カメラに向かって話しています 

どこかで見た人だなぁと思いながら 写真を写しました 

前夜から朝のうちは 冷たい雨が降っていましたが 時折明るい日差しが覗いて 天気は回復してき どんどんと人がやってきます

市役所前では 何時ものように お振る舞いのテントが出 温かい甘酒をいただきました 

東遊園地では 献花と記帳をすまし 蝋燭の点火は 夕方にまた来ることにして 
南京町へと向かいました

     
南京町は 横浜と同じく 中華料理店や 小物 食材などを売る店が集まっています 
ここも震災では酷く被害を受けましたが プロパンガスでいち早く営業を再開した元気な街です 
何もイベントらしきものは していなかったので 屋台の豚まんと ミニワンタンを食べてから 
メリケンパークに向かいました

メリケンパークは 昔 メリケン波止場といわれた所をキレイに整備して 公園になっています
ここには震災モニュメントがあり 壊れた岸壁の一部も保存されています 

神戸らしい風景の 絵葉書になるところです

ホテルオークラの近くまできたら やたらと警官の姿が目立ちます 
ひょっとしてと思って聞きますと やはり・・ 
まもなく 天皇皇后両陛下がホテルまでお戻りになられるとのこと 
ホテル前で お出迎えすることにして しばらく待つことにした 

 

前を通り過ぎるお車の中を 上手く写せるだろうか 
警備の方はとっても親切で デジカメでは写すのは難しいから 他の車で稽古をして写っているか見てみたらいいよって言われる 
前を通る車で何度か練習をするが タイムラグで上手くいかない 
距離はマニュアルに切り替えて固定しておこうと思い どのあたりの位置を車は通るのか聞いてあわせておく 
3分前にパトカーが通り いよいよだ 先導の白バイが見えてきた 
「何番目の車?」って聞いたら 「2番目 赤い旗が立ってるよ」  
夢中で 目はお車を見ながら シャッターを押す 

美智子様は とってもお綺麗で とても70歳だなんて思えないお美しさ 
黄色がかった淡い色のお洋服で 手を振ってくださった

考えてみれば 1年目の9年前の117では 雅子様を元町で通り過ぎられるのをお迎えしたのだ   
雅子さま 早くお元気になられるといいのにネェ

お車が過ぎてから 写っているか見てみたら お車の鼻と御尻尾だった 
でも 菊の御紋章の赤い旗は写っていた

メリケンパークでは TV大阪が中継をしていた 
カウンターテーブルにキャスターたちが寒そうに座っていた 
ローカルな局なのであまり観ないので 知った顔はいなかった
せっかくここまできたのだから 夜景を写そうと暗くなるのを待って 神戸タワーなどを写してから また東遊園地まで戻る 

遊園地では 竹筒に入れられた蝋燭に点火を始めていた 
暗闇に蝋燭の赤い日がボォーと浮かび上がる 
亡くなられた方6400余の数の竹で 1.17を形作っている 
南側の関電ビルも 窓の明かりを消し 117の形になるように点灯していた 
蝋燭を求めてから 私も蝋燭を上げさせてもらった

知り合いで 直接地震で亡くなられたのではないが 家は全壊 娘さんは 重症 
クラッシュ症候群で危ない所をヘリで大学病院に搬送されて助かったと言う方がおられた 
TVでも何度も紹介された事がある 仮設住宅に入りお元気そうに見えたお母さんが 病気で亡くなられた 
多分 地震がなければ あんな被害にあっていなければ 亡くなられることはなかっただろうと思う 
心痛から病気になられる方も多かったのだ

いろいろなことを思い出しながら まる6時間も神戸の町を歩いて 私の10年目の117は終わった

フォトアルバムにまとめています   こちら クリックして ご覧くださいね

 

コメント先: "10年目の1月17日" (1)

  1. こんばんは。Blog作成されているんですね。知らなかった。読みやすくて好印象のページですね。またお邪魔させていただきます。

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